家族という枠組みを超えて終活したい。
わたしはまだまだアラサーです。(まだまだという表現が正しいかは謎)
でもフリーターなのでシュウカツしているといえばシュウカツしているのですが
今回は就活ではなく”終活”の話です。
みなさんは死ぬ時、その瞬間の理想のかたちはありますか?
私は、「ピンピンコロリ」派です。
「ピンピンコロリ」は私的No.1の死に方です。
場所はもちろん、自分の家のベッドの上。夜眠ったら朝目覚めないパターン。
誰にも気づかれず、苦しまずに息を引き取る。
発見される時間帯も深夜ではなく、運動会とかハロウィンとか大きなイベントがないような日の午前中に「おばあちゃんなかなか起きてこないね~」で発見されるっていう。
これ叶ったらほぼ奇跡でしょうね。
あ、あと、”おばあちゃん”になってるのも(;^^)なれるかな…笑
実際に老いや死を意識する年代でない方でも、漠然と、抽象的なイメージではありながらも『自宅で』とか『家族に見守られながら』とかって思っている方が多いのではないかと思います。
「ピンピンコロリ」は昔から変わらない希望なのですが、
最近の私は、『自宅で』という死に場所に関して考え方が少し変化しました。
妄想の中では、もちろん健康で長生きしているというのが大前提で、その為に今から健康第一!がモットーですが。いつ何が起こるかなんて誰にも分かりませんから。もし、病気や事故、老衰でも、自分の事がままならなくなったら、家族の世話になりたくないので『病院で』という選択も個人的にはアリだったんですが、それに加えて最近は、老人ホームのような『施設で』という選択肢も入ってきました。
私は最近、たまたま施設に出入りすることが多くなって、そこで暮らすお年寄りの方々をみて、こんな風に思うようになりました。
『施設』で、家族という枠組みを超えて、自分よりもうんと若いスタッフと関わったり、自分と同年代のお友達とおしゃべりしたり、人生最後の恋をしてみたり♡
そりゃ施設に入居しているおじいちゃん・おばあちゃんだし、経済的に裕福であるか、どこかしら体にガタがきてるか、のどちらかなんだけど、どちらにせよ、
なんだか私より人生楽しそうじゃないか!と。
(施設の種類や形態によるところは大きいと思うのですが)
これ”終活”や”死生観”というより、老後の生活の話ですね。すみません。
ただ、タイトルに書いた通り、
人生最期の瞬間を迎える時、『家族』や『自宅』というキーワードだけではなく、
そういった今までの常識や枠組みを超えたところに、新たな終活のキーワードや価値を見つけたような気がするのです。
年齢とともに、いろんな経験をしてキャパが拡がるから、自分が思う以外の様々な価値に対して、「それもいいな」と思えるようになるのだと聞いたことがあります。
私も年々、色んなものを受け入れることができるようになってきている気がします。まだまだ若気の至り(多分もう違う)を発揮してアツくなっちゃうときもあるんですけど。
世論や一般常識というものも、とても移ろいやすく不確かで流動的なものですが、それでも時代とともにアップデートしていて、良い方向に向かっているものも沢山あると思うんです。
例えば一昔前だったら、離婚は良くないものだったし、片親の子どもってすごく可哀そうだという風潮があったと思います。でも今やシングルマザーやシングルファザーは珍しくないし、離婚は幸せになる為の一つの選択肢であって、離婚したことで好感度が上がる芸能人なんかもいますよね。バツ1、バツ2とか普通ですよね、私の周りにも結構います(同世代じゃないですよ、職場の先輩方とか)。実際に私も物心ついた時から片親ですが、シングルマザーの子どもである当事者の私は、あまり片親であることに負い目を感じたことはありませんでした。もちろん、(人より複雑な)家庭環境の影響を受けて、自身の結婚観をこじらせている感はあるのですが、『片親だから』いじめられた、とかそういった経験はないです。まぁグレてもおかしくなかったかもなぁとは思いますが、結構普通に、平和に生きてきました。周囲の人のおかげですかね、ありがたい。
性の在り方や認識が変わってきたと同様に家族の在り方もさらに多種多様になってきて、『終活』や『働き方改革』などの新しい言葉に表されるように、考え方や選択の幅が拡がっているように感じます。
アラサーの今、ジャストナウ、私を取り巻く家庭環境や家族の在り方って、私が生まれた頃とは大きく変わったし、私が60歳を超える頃にはまた、個人としても社会全体としても、それらの在り方や価値は大きく変わっているのではないかなぁとボンヤリ思います。
死に際には家族と過ごすのがベストだという医療者の考えも、もしかしたら違うパターンがどんどん出てくるかもしれません。
家族関係がうまくいっているのが大前提という考えも、もしかしたら覆ってゆくかもしれません。
いま望んでいる死ぬ時のイメージも、時代の変化や自身の経験とともに変わってゆくかもしれません。
そう考えた時、私は、
今はまだ早くてもいつか終活をする時には、
家族という枠組みを超えて終活したいなぁと。
その方が何だか気楽で、豊かな最期を迎えられるような気がしたのは
私だけでしょうか?
2019年は欲張り。
2019年、明けましておめでとうございます。
ついに、届く年賀状が生命保険会社からと長年お世話になっている美容室からと姉の家庭からの計3通になりました!
(自分は人生でほとんど年賀状出したことないくせに)
2018年は、脱サラ(前職も雇われ組織人だし広義に解釈すればサラリーマンだと思ってる)したんで
都度都度、たくさん気持ちなんかを綴って残していきたい、とかFacebookで身内には宣言してたんですが
結局2018年のFacebookはその投稿1件のみで、あっという間に2019年になっていました。
年々、「あっという間に」とか「いつの間にか」とか言う回数増えてる気がする・・・。
とりあえず「あっという間でした」って言っとけばなんか誤魔化せる気が・・・しません?笑
そんなこんなで久々にPCからFacebookにログインしてみたら、表示の仕様が変わっていて今時のSNSっぽくなっていて、Facebookの記事の投稿を始めるのにちょっとだけ苦戦しました。
mixi → Twitter → Facebook → Instagram と、ここまではなんとかついてこれていたものの、
TikTok以降はもうわかりません。
テレビドラマ等の番組提供クレジット(協賛スポンサーの表示)でTikTokが出てくる違和感を強く感じている私は、本当にもう若くないんだなと実感します。
精神的には、気持ちは、心は、大学生のままで止まっている。
(10年くらいワープしたかな??)
2019年は、平成最後の年です。
ちょっとだけ個人情報に触れますが、
私は平成生まれです。
まぁアラサーって言ってるんでだいたいそのへんってわかりきってますよね…。
で、平成生まれで、ゆとり世代ど真ん中だと思うのですが、
ゆとり世代と言われ揶揄されるより何倍も、
平成生まれというだけで存分にチヤホヤされて生きてきて、その恩恵にあずかってきたので
平成生まれでよかったなーと思うとともに
(あ、なんか各方面色々すごい語弊あると思うんですが・・・。予め、、、ごめんなさい!!!)
年号変わる問題にはとっても敏感だったし、すごい、なんか、ショックです。笑
何より、私は平成の時代に生まれた子どもなので、名前に平成の字をもじったと、親から聞いたことがあります。
(こっちの方が個人情報)
名前の由来については、その他諸説あるのですが、まぁ今となっては名前の由来は大した問題ではないです。
年号にゆかりのある名前であるという事実だけが問題なのです。
そんなこともあり、他の平成生まれの方々よりも、より年号変わる問題には敏感でした!
敏感になりすぎて、同じく平成の名のつく某男性アイドルグループの行く末を心配してみたり・・・。ザ・杞憂ですね。
で、平成も終わるみたいなんで、2019年の抱負を発表しようかと思います。
20代前半は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」っていう教訓系で、
2年前くらいは、「キャパを拡げる」、
直近1年くらいは、「享楽的にでもいいからちゃんと自分の人生を生きる」という壮大なテーマを掲げていました。
では、それらの目標や抱負が達成、実現されたかというと、
看板立てるだけ立てて謳いっぱなし、前しか見えない、人の心なんて秋の空、ってタイプなので
振り返りはしませんが。
2019年は、「欲張りになる!」をテーマにしようと思います。
唐突と言えば唐突ですが、案外、ストーリー性というか、秩序があるというか、
私なりにこの抱負やテーマたちは全て繋がっている気がします。
前しか見えないけど、ちゃんと過去があっての現在というか、
過去を否定したくないので、ぜんぶ、延長線上にあって、繋がっているものと思っています。
「欲張りになる」とは、
何かを得るためには何らかの犠牲を払わなければならない、というような思考はやめて、
自己犠牲型の働き方や関係の築き方もやめて、
ひとつ、だけに絞らず
好きなことしてやる!
ぜんぶ、叶えてやる!と。
そしてその為に長期的な努力ができるようになりたいです。
”長期的な”というのがポイント、課題ですね。
あ、”課題”とかって事も考えないようにもしたい、
「上手に息抜きする」も”課題”だし、
「バランスのいい人間になりたい」とも思うし
「ONとOFFだけでなくニュートラルでいられる」ことも目標だし・・・
パワフルな人になりたいなぁ。
(常時省エネモードなんですが、そういう願望はある。)
燃費、コスパ、動線、最小で最大効果とかいう言葉大好き。
二度手間っていう言葉が大嫌い。(笑)
・・・なんだけど、そうじゃなくて!
他人から与えてもらうより、自分発信で何か幸せやエネルギーを分け与えられる人になりたいなぁと、
ちょっと、思っています。
盛りだくさん。
・・・これはさっそく「欲張り」になれそうですね!!!!!
終
紅白歌合戦がリアルタイムで観たいという病気
感じています、年末感。
絶賛フリーターの今年は、昨年までとは違ってバリバリに年末感を感じたくて、『絶対紅白見てやる!』というナゾの意気込みを持っていました。
紅白歌合戦って、大人になると年々観なくなるものかなぁと思います。
成長の過程で、イベント事や年末年始は家族で過ごすより友達と遊ぶのが楽しくなって、家で過ごすこのとのなくなる10代後半~20代前半。
就職して、仕事頑張りたいとモチベーション高く働くのは20代半ばまで。前職はカレンダーの赤色と青色のところなど関係なく365日24時間営業だったので、国民の休日やゴールデンウィーク、年末年始なんか憂鬱でたまりませんでしたし、だんだん、紅白歌合戦は世間の幸せな人たちが観るものとひねくれていきました。
20代半ばを過ぎて、後輩もでき中堅、幸か不幸か任される仕事や責任も大きくなり、社会人2、3年目の頃ほど仕事に対して熱くなれず、そのことを残念に思いながらも根が真面目なので四六時中仕事の事を考えてはイライラして、でもそんな自分が嫌で、のらりくらり受け流すことも覚え、どこか達観したような、菩薩のように振舞う術を身につけたアラサー。紅白の”こ”の字すら考えもしない年末年始。
家庭を持ったらまた紅白を観る機会もあったでしょうが、結婚できる兆しも全く見えず、思い切って退職、フリーターとなった2018年。
それまで、物理的に、絶対的に紅白が観れない状況だったので、大して紅白に対する思いはないのにも関わらず、どうしてもリアルタイムで紅白歌合戦が観たくなるという病気にかかります。
ですから、晴れて無職になった2018年4月からは、
2018年は絶対にリアルタイムで紅白歌合戦観てやる!と意気込んでいました。
紅白=年末感 ですよね?
年末感を感じたかった!普通の、カレンダー通りの生活というものをしたかった!
年末年始は実家に帰って、コタツにみかんに紅白歌合戦という最高の組み合わせで、笑ってはいけないは録画して、紅白歌合戦が終わったらちょっとだけじゃニーズカウントダウンとか観ちゃって、その後はCDTVで深夜までコースで朝方観るものなくなってやっと寝て、元旦はお昼頃に起きて遅めのお節、っていう普通の!平凡な!生活に憧れていました。
平凡で大して魅力はないと思うのに、それができない状況が続くとどうしてもやりたくなってしまう天邪鬼。
2018年は紅白歌合戦で年末感をバリバリに感じる!っていうのがやりたいことでした。
でも、人間って、生きているだけでお金って減っていくものなんですよね。
私はなんの生産活動もしていないのに、生きているだけで、ただ息をしているだけで、お金は減ってゆきます。
食事を摂取しなくても、ただ生きているだけで、ただ息をしているだけでも、お金が減ってゆく現実・・・家賃、水道光熱費、携帯代、保険料、奨学金返済、エトセトラ・・・
当たり前の事なんですが、この事実に愕然とした4月。(3月30日まで働いてたのに)
3ヶ月くらいニートしようと思っていたのに、働いていない、無収入ということが急に怖くなって、不安になって、人生の夏休み到来!と思っていたのに、焦って最初に面接したところで簡単に4月23日から働き始めてしまうという小心者。(パートだけど)
23日間しか働かない状況に耐えられなかったという事実だけが残りましたね。
まぁ、思い切って仕事を辞めて、自分自身を見つめる時間にしようと思い、今まで気づかなかった自分というものに気づき始めた2018年でした。
やりたいと思っていたことが必ずしも自分に向いているかどうかというのは、わからないものです。
つまり、結局今年も、晴れてニートになったと思ったらフリーターに昇格し12月31日も仕事(あ、バイト)で、紅白リアルタイムで最後から最後まで観るという夢は叶わないのです。
自分で自分の首を絞めるのが得意みたいです。
無意識か意識的か・・・。
31日シフト入れなければ入れないこともできたのに、なんでか『あ、大丈夫です』って言っちゃうんですよね。
紅白をリアタイするというような夢は、夢のままにしておくほうが輝くから★
叶わない夢を叶えようとしている時が一番ワクワクして、楽しくて、大事で、キラキラして見えるんですよねぇ。
そういうわけで、紅白歌合戦がリアルタイムで観たいという病気は、2019年に持ち越しです。
でも、せっかく2017年から2018年にかけて一大決心して仕事辞めたんだから、手放しで紅白歌合戦を見逃すわけにはいかない!ということで、
遅ればせながら、一昨日、録画機能を獲得しました。
これまで散々欲しい欲しいと思って買うお金も買う機会も十分にあったはずなのに先延ばしにしておったせいで(?)、皮肉なことにフリーターになって預金残高も順調に減っているこの時に、外付けHDD買うことにした2018年年末。まぁ、このことにより年末感しっかり感じることができています。
リアルタイムでは観れないけれど、録画機能を駆使して2018年平成最後の紅白歌合戦をこの眼におさめたいと思います!!!!
2019年はどんな年になるかな!
来年末はどんなこと感じているのかな!
アラサーにしてフリーター、そして自分がフリーターってことに4月から約9ヶ月間気づかなかったアラサー(友人に『え、フリーターじゃん!』って言われて気づいた)、アラサーのフリーターって社会的信用がないんだってことをヒシヒシと実感しておりますが、
次の春までには何か自分の中で悩んでいることの答えが見つかりそうな、吹っ切れそうな、モヤモヤしている霧が晴れそうな予感だけはしております。
生活ギリギリだけど、2019年は2018年よりもなんだかいい年になりそうな予感☆
(2017年末にも同じようなこと言っていたけど・・・)
アラサーフリーターなのにこんな風に思えるってこと自体がすでに私の中では成長というかすごい変化なんですけどね・・・。
紅白楽しみ☆!
眠れないクリスマスはなぜ?
聖なる夜(もう朝)に初めてブログを書きます。
眠れない理由は、クリスマスの数日前から不覚にものど・鼻風邪をひいてしまい、加湿器フル稼働+濡れマスクを活用してもなお、咳と鼻・のどの乾燥による不快感で全く寝付けないからです。
風邪の引き始めかな?という段階から市販薬にも頼りながら酷くならないよう対策を行っていましたが効果なく、また、激しく人生迷走中で現在手元に保険証がないというのっぴきならない理由で受診もできず、今に至ります。
熱を出していないことだけが救いなのですが、世間はクリスマス。いっそ熱が出るほど体調悪い方がイロイロ言い訳ができてよかった気もします。
寝起きと寝つきがすこぶる調子悪い以外は案外元気なので、浮かれている場合じゃない私も、クリスマスの雰囲気に流され、浮かれさせられて?かぼちゃスープやチキンのトマト煮などを作って、普通なら(クリスマスでも)買わないような白ワインやケーキなどを買ってしまったクリスマスイブでした。
そんな自分は、やっぱり冗談レベルじゃなく迷走している気しかしないので、頭の中を整理し、自分自身を見つめ直す機会にしようと思い、ブログ始めてみました。
不特定多数の方に公開するブログというものは初心者なのですが、
『自分自身を見つめ直す手段がブログ』
ということ自体は、あまり迷走してる感はなく
自分らしさが残っているかなと思っております。
石橋を叩いて叩いて壊してしまうこともあるけれど、
その一方で大事にしている言葉は
「タイミングは大事」とか「思い立ったが吉日」とか…
「アクションなしにリアクションはない!」とか言って大胆な行動に出るところもあって
それで今回、ブログ始めよ☆
となったわけです。
自分でも自分のことが分からなくなるほど両極端な、相反するような部分があって、
感じることや考えることも、
良く言えば日々アップデート、悪く言えば一貫性がなく
あれ、中の人変わった??って自分自身で思うことも多々ありますが
マイペースに綴っていきたいなと思います!
頭の中でユラユラぐるぐるしているマーブル模様を
ちょっとずつ、どなたかと共有したくなってしまいました。
とりあえず、アラサーのいいオトナが、迷走して保険証手元にないから風邪ひいても病院行けず眠れない2018年のクリスマスを過ごしましたよ、っていう話でした。